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増補版 現代アパレル産業の展開 |
| <本書紹介> ファッションは誰の手に委ねられるのか? 歴史が語るファッションビジネスの行方 初版の刊行から3年が経過した。 増補版では、「ライフサイズビジネス」(等身大ビジネス)をキーワードにこの間の変化を解説・分析した。現場歴40年の元繊研新聞記者による、あるようでなかった日本のファッションビジネス史。ファッション産業の「栄枯盛衰」をふ瞰する格好の書。 FBを目指す人、FBに興味・関心のある人の必読書である。 |
| 著者 プロフィル 山崎 光弘(やまざき・みつひろ) 繊研新聞社記者として40年間にわたりファッション業界を取材、報道。日本のアパレル産業はもとより、フランス、イタリア、イギリス、アメリカなど海外のファッションにも精通している。 90年代には米・ギャップの取材を通し、「SPA(アパレル製造小売業)」という言葉を生み出した。 杉野服飾大学教授(アパレル産業論、現代アパレル論、キャリアプランニング担当)。IFI(ファッション産業人材育成機構)、山野美容専門学校(現代モード担当)講師、東日本ファッション学会運営委員。 共著に「ファッションビジネス成長の条件」「日本版SPAの挑戦」「図解 繊維ファッション産業入門」(いずれも繊研新聞社刊)など、1947年生まれ。 |
07年7月の初版本の刊行から3年が経った。この3年間は08年のリーマン・ショックをまたぐ3年であり国内外の経済、消費環境は激変した。金融問題に端を発した世界同時不況は資本主義経済の根本が問われることになり、その根幹を占める消費そのもののあり方にまで及んでいる。
それ以前から続くアパレル産業の低落傾向は、「100年に1度の不況」に陥る先触れだったのかもしれない。『貴族財』としてのラグジュアリーブランドを『大衆消費財』にまで押し上げた日本は90年代から深刻な衣料不振にあえいできた。その過程で登場してきたのが企画、生産、小売流通を一気通貫で結ぶSPA(アパレル製造小売業)への転換であった。
こうしたSPAモデルが浸透する中で、問われ始めたのはシステムのめざす方向軸である。単なるファッションのファスト化(=より低価格・大規模展開の体制)に対しては、主たる生産者を抱える途上国からエシカル・エレメンツ(=EthicalElements 社会倫理的な問題)を追及され、消費者サイドからは資源・エコロジー問題で、さらにはデフレ経済に落とし込む元凶とまで非難される。
一方、ファッションのカジュアル化は先進国、途上国を問わずグローバルに進行している。その国・地域の生活水準と文化を基盤にしながら普通に使用される服が共通言語として浮上してきたのも21世紀の特徴である。2010年までに明らかになったのは、日本に限らずグローバルに進行している等身大(Life-Size)消費であり、それに対応する等身大ビジネス(Life-Size BUSINESS)の発見と展開が急がれる。ファストファッションの検証から等身大ビジネスの周辺を探り、序章として増補版に書き加えた。
欧米、とりわけヨーロッパにおけるファッションの歴史は長いが、日本のファッション化は1960年代半ばから始まり、生活者に代わって、流行を先取りし、産業化していくファッションビジネスが本格的に形成されるのは70年代からである。陸上競技にたとえるならば先行する欧米から周回遅れに近かった日本のアパレル(衣服)産業
がどんな経過で立ち上がったのか。
第1章では、モードがファッションビジネスとして成立していく様を駆け足で追った。70年代、とりわけ70~75年は日本に限らず世界的に価値観の転換が一挙に起こった時期である。第2次世界大戦は参戦国にベビーブーマーを生み、消費の世界でも変化をもたらした。また、オートクチュールと天文学的な距離にあった既製服がプレタポルテの認知によってその距離を縮め市民権を得ていく。このことが、高田賢三なども参加して起こったムーブメントだったことに誇りを持ちたい。
現代アパレル産業は一国だけで動くものではない。欧米の先行事例が即取り入れられたり、数年後に顕在化したりすることも多い。1991年のバブル崩壊後、現在まで尾を引く相次ぐ企業の買収と統合劇は、80年代からアメリカでは常態化していた(第3章)。それが、ラグジュアリーブランドに及んでいくのが2000年からである。第4章では「際がなくなる」のテーマで、業際、国際、資際の発端と経過を追った。SPA(アパレル製造小売業)はこうした中で認知されていった。
そごう破綻を契機とした日本の流通業の再編はアパレル産業の形も変えようとしている。その変容の方向軸はより生活者に近く、モバイル技術を取り込んだ新しいビジネスモデルの創造であり、流行の発信源を原点帰りして時代性に求める試みなどである(第6章)。
世界第2位の洗練された消費市場である日本。その中にあって繊維、衣服産業は最盛期を過ぎた産業とされている。かつて、バブル経済崩壊以降の日本を「失われた10年」と呼んだひそみにならえば綿・羊毛は「失われた30年」、合繊は「失われた20年」、アパレルは「失われた15年」である。かくも長き不在が続いている割には、アパレル産業はファッションビジネスの中心的役割を失っていない。
総売上高は減ったといわれながらも、百貨店でのファッション衣料の販売比率は30%から40%強で推移し、新設されるショッピングモールは競って人気ブランド店を導入している。快進撃を続けるバッグなどアクセサリー(雑貨類)も衣服で裏打ちされたブランド力を背景としている。
日本のアパレル産業はわずか20年でピークを迎え、92年(平成4年)から15年間、マイナス成長に陥っている。92年の国産アパレル製品の出荷額は約13兆円だったものが、2005年には4兆8000億円と、約3分の1までに縮小した。
総理府・家計調査によれば、一世帯あたり衣服・履物への年間支出は92年に30万2328円だったものが、最新統計である05年には16万9921円と、ほぼ半減した。しかしながら、繊維・ファッション産業は02年段階で関連24万4000社に165万人が働き、その市場規模は44兆円である。原料から織物までの川上に2万社25万人が、衣服製造・卸の川中に6万社60万人が従事する。こうした衣料品を販売する小売業者は17万社80万人を雇用している。
先に公表された新繊維ヴィジョンともいえる「繊維産業の展望と課題・中間とりまとめ」(産業構造審議会繊維産業分科会)は、(1)構造改革の推進 (2)技術力の強化 (3)アジア・世界に対する情報発信力・ブランド力の強化 (4)国際展開の推進 (5)人材の確保・育成を施策としてあげている。印象的なのは、「斜陽産業のイメージからの脱却」の強調である。その意味からも本書で創業者、先人たちのファッションビジネス、アパレルにかける思いや実績を残しておきたいと改めて思った。
お断りしておきたいのは、ユニクロ、中国に関しては本書で詳しく触れていない。ユニクロは『ユニクロ 異端からの出発』(2000年、繊研新聞社)や柳井正の自著など多数あり、そちらに譲りたい。
『ユニクロ 異端からの出発』は繊研新聞社の青木修治記者が執筆したが、「はじめに」は私が書いた。引用しておく。当たり前のことを当たり前にやるユニクロの「挑戦」が、混迷するアパレル産業の変わらぬ真理である。
『ユニクロ 異端からの出発』――「はじめに」より
ファーストリテイリング社長の柳井正さんに初めてお会いしたのは、88年の冬。当時、東京・茅場町にあった小社にわざわざお越しいただいた。福岡支局勤務だった青木修治記者が連れてきた。その年の4月から始まった国際連載「際がなくなる」でギャップ、ザラなど注目企業をSPA企業として取り上げたことに興味を示され、SPA
について詳しく聞きたい、というのが趣旨だったように思う。
小料理屋で会食したのだが、話はあまり弾まなかった。ただ、先代からの家業を、時代性にあった小売業に再生したいとの意欲に溢れていた。SPAの報道記事に触発され、イギリス・ネクスト、アメリカ・ザ・リミテッド、ギャップなどを直接現地に見て回ったことなどを訥々と語っておられた。印象的だったのは、当時のユニクロのチラシを持参されていたこと。価格を大きく打ち出し、Tシャツやパンツの商品写真をずらりと並べただけのものだった。
この時点では、柳井さんの志は高いが普通のカジュアル専門店のような印象を受けた。ファッションという言葉は柳井さんの口からは発せられなかったような気がする。世に言うSPA企業の創業オーナーたちは私の取材経験から言うと意外とファッションにうるさい。(中略)
東京・原宿出店で、地方区から全国区へ躍り出た感のあるユニクロ。最近お会いした際、柳井さんは「ファッションや流行に左右されない国民ブランドを目指します」と強調した。ナショナルブランド(NB)、ナショナルチェーン(NC)のことばの魅力と存在感が薄れて久しい。ファッションの大衆化はNBからグッチやプラダ、ルイ・ヴィトンなどラグジュアリーブランドという欧米では考えられなかった「最後の砦」にまで及んできた。
どっこい、そこでユニクロの国民ブランド宣言である。(中略)本編にもあるように、ユニクロは当たり前のことを当たり前にやって、国民ブランドを目指す。この当たり前さが「挑戦」にならざるを得ないところが、日本のファッションビジネスの弱点かもしれない。
なお、文中、紙幅の都合で敬称略とした。