私とファッション、あの人の原点は? | 繊研plus

私とファッション、あの人の原点は?

  • 2015年6月5日 6時54分更新

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《センケンコミュニティー》タイムトラベル! 昔、どんなスタイルだった?

 アイビールックやDCブランドブーム、パンクカルチャーなど、ファッション業界人にとって、流行の歴史はしばしば個人の歴史と重なります。いま業界で活躍するあの人は昔どんなスタイルだったのか、それを探ることはその人のファッションの原点を探ることかもしれません。「私のファッションの原点」をテーマにファッションビジネス業界で活躍する方々に語っていただきました。あのころ何を考え、今にどうつながっているのか。皆さんも昔の写真を見返してみてはいかがですか?

今回お話をうかがったのは――

  • ★ 「タケオキクチ」クリエイティブディレクター 菊池武夫さん」
    ★ リステア クリエーティブディレクター 柴田麻衣子さん
    ★ ファッションディレクター 萩原輝美さん
    ★ エムロマン 社長 大村秀子さん
写真右上(©Zipper1998年7月号/祥伝社)

写真右上(©Zipper1998年7月号/祥伝社)

そして番外編――

  • ☆ 繊研新聞記者 小笠原拓郎

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「タケオキクチ」クリエイティブディレクター 菊池武夫さん
リアリティーのある服への憧れ

 ファッションを意識し始めたのは、文化学院の美術課に通い始めたころからです。39年生まれで小学校にあがる直前に終戦を迎え、幼いころは物がありませんでしたから。

 文化学院は特殊な環境でした。周りは画家を目指しているような人ばかりで、毎日学校へは行くけれど、玉突きやジャズ、映画や読書にあけくれる毎日。中でもヘミングウェイやカミュが大好きでした。映画で影響を受けたのはヌーベルバーグ。日常を切り取ったようなリアリティーのある生活にものすごく憧れました。当時の日本は生活においても決まりごとばかりでしたので。

 そのころは既製服がなかったので、ファーの付いたレインコートやシャツなど、銀座に行ってオーダーして作ってもらっていました。その時ですね、服の面白さを知ったのは。20、21歳の時は、スーツを着て「フォックス・アンブレラズ」の傘を持ってというような格好で街を歩いていました。

 ただ、僕は本流からずらして、人とは違う格好がしたかった。当時の日本にあるのはちゃんとした服ばかりでしたが、僕はもっと日常的に自分がやっていることを表現できる格好をしたかったんです。正統派はそれはそれでいいけれど、いろいろなタイプの人間がいるし、いろんな服があっていい。60年代、欧米を回ってヒッピー文化などに触れた時、「あぁ、これが自分がやりたかった世界だ」と思いました。

 僕は、上質なものも、70年代にはやったチープシックのようなものも、どちらも好き。どっちの良さも分かることが自分の強みだと思います。

写真=銀座でオーダーしたシャツやジャケットを着ていた20代前半を経て、欧米の文化から影響を受けた20代後半はもっぱらヒッピースタイルだった

現在は黒のセットアップのイメージが強いが、普段はデニムスタイルが好きで、紺色の服を着ることが多いという

銀座でオーダーしたシャツやジャケットを着ていた20代前半を経て、欧米の文化から影響を受けた20代後半はもっぱらヒッピースタイルだった

銀座でオーダーしたシャツやジャケットを着ていた20代前半を経て、欧米の文化から影響を受けた20代後半はもっぱらヒッピースタイルだった

現在は黒のセットアップのイメージが強いが、普段はデニムスタイルが好きで、紺色の服を着ることが多いという

現在は黒のセットアップのイメージが強いが、普段はデニムスタイルが好きで、紺色の服を着ることが多いという

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