「カラー」10周年、阿部潤一に聞く | 繊研plus

「カラー」10周年、阿部潤一に聞く

  • 2014年9月12日 12時23分更新

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”ナイロンのパーカが欲しいって思うこともあれば、くれるって言われても欲しくないカシミヤのコートもある。丈夫なだけでも高級感だけでも駄目。その時代の何かしらを持たないと望まれない

 

 

 

 「カラー」を立ち上げて10年。パリ・メンズコレクションでも常連のデザイナーとして阿部潤一は世界的に知られるようになった。カラーで10年、それ以前を含めるとファッション業界で20年以上、物作りに携わっている。その姿勢とクリエーションはどう変わったのか。(小笠原拓郎)

 

 ――「カラー」の物作りを見ていると、一貫して製品に対する意識の高さを感じます。

 洋服屋がなぜ魅力的かというと、パターンが良くて縫製が良くて素材が素晴らしいものだったとしても、必ずしも完璧なものができないからです。最高級のカシミヤで最高のカッターに依頼すれば、いい物ができるんだったら苦労しない。

 でも服ってそうじゃない。ナイロンのパーカが欲しいって思うこともあれば、くれるって言われても欲しくないカシミヤのコートもある。丈夫なだけでも高級感だけでも駄目。その時代の何かしらを持っていないと望まれないものだと思います。

 「カラー」を始めた時に、どんなブランドにするか、大きくイメージできていたわけではないんです。やっぱり、前のブランドとは違うことをやらないといけないと思いました。でも、結局、その時に一番かっこいいと思うものを作ったのが「カラー」のファーストコレクションです。

 

 ――「カラー」の前の「PPCM」では、当時のデザイナーブランドへのアンチテーゼのようなコンセプトがありました。ある種の匿名性を主張するあたりに90年代らしさも感じました。

 デザイナーの名前が出て、それがブランド化していくことへの違和感はありましたね。そういうのって、ファッション業界だけじゃないですか。ホンダやソニーは会社として製品をデザインしているのに、ファッション業界は違う。

 だから、一種の記号であるPPCMっていうのをブランド名にしたんですけど。(同じように匿名性を主張していた)「マルタン・マルジェラ」は個人の名前ですけれど、僕たちはファッションブランドが個人のキャラクターであることも否定していたから。でもPPCMで10年、「カラー」も同じだけやっていると思うと、もうそんなに経ったのかと思います。

 

 “変わらないことよりも、変わっていくことの方が難しい”

 

 ――匿名性やプロダクト重視の一方で、ショーでイメージを作ることには消極的でした。今はショーもしていますし、ずいぶん変わりましたね。

 なぜ、ショーを始めたかというと、洋服というメディアを通して次のシーズンのかっこいいと思うものを、できるだけたくさんの人に見てもらうのがいいなって思ったから。ファッションって製品を作っているけれど、もう一方でぼんやりとしたイメージがセットになっている。

 ショーでは、どういうイメージを良しとしているのかを、もうちょっと濃くして見せる。雰囲気やニュアンスやムードを濃くして、感じてもらう場所です。ショーをやる、やらないにこだわっていたこともあったけれど、ずっと同じところに留まっていることの方が良くないと思います。

 変わらないことよりも、変わっていくことのほうが難しい。ショーをするようになって、毎シーズン、別の角度から同じ価値観を見せなきゃいけないって思うようになりました。そのためには自分自身が変わっていかなきゃいけないって思います。

 

 ――15年春夏コレクションではずいぶん、若々しくなったように見えました。

 これまで「カラー」は、スポーツとミリタリーっていうテーマを避けてきました。メンズってそれを入れれば成立するように思えるし、安易だと思っていたので。でも、今回、自分の中でスポーツテイストがずっとあって、使い古されたテーマだけどやってみようって思いました。

 スポーツでも、次のシーズンの新しい気分やニュアンスを出せれば成功って言えるんじゃないかって。1年前の14年春夏コレクションではハワイアンプリントを切り口にしましたが、それも今までプリントをあまりやってこなかったからです。自分があまり興味がなかった切り口から見せることで、新しい「カラー」を見せられるんじゃないかって思います。

 

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